わずか一枚の心電図だけで心疾患を検出!?ベテラン医師も驚く高精度の診断支援AI

ライター 高山豊明

ある日、医師の八木隆一郎氏は患者の心電図を眺めながら、ふと思った。
「心電図診断とは何なのか。もっと多くの情報を読み解くことができれば…」。
その探求心が、彼を画期的なAIシステムの開発へと導いた。

「KORBATO SCAN」は、心房中隔欠損症などの、特に自覚症状の少ない心疾患をわずか一枚の心電図から高精度に検出できる。このシステムは、医療の現場で診断の精度と効率を劇的に向上させる可能性を秘める。

従来の心電図診断では、心電図の波形の異常から直接的に心疾患リスクを予測することは、熟練の専門医でも困難とされてきた。しかし、膨大な量の心電図データを学習したAIの誕生により、臨床現場に新たな診断法が増えるかもしれない。心疾患リスクの早期発見は予防の促進に役立つ。さらに、〝かかりつけ医〟を担う開業医の診断領域を拡げることにもなる。

ボストンで研究が進行中

このシステムを開発したのは、医師の八木氏。彼は慶應義塾大学医学部を卒業後、東京都済生会中央病院での循環器診療、ハーバード大学公衆衛生大学院で疫学・生物統計学・機械学習を専攻、そして現在は、Brigham and Women’s Hospitalでの臨床AI研究開発に従事している。そして、2023年に株式会社コルバトヘルスを創業した彼は、日本の医療に革新をもたらそうとしている。八木氏に話を伺った。

これからのAIの能力は人間と比較して「天才の1万倍」とも言われるようになった。生身の人間がどうやっても成しえないことを、コンピュータがやってのける時代がいよいよ到来する。そして、その未来は案外、近いかもしれない。そして、その恩恵は、確実に医療にももたらされるだろう。その先陣を切るのが、八木氏だ。

コバルトヘルス社のホームページを見ると、本社住所は東京都内とあった。直接会いに行こうと思い連絡を取ると、八木氏は現在、ハーバード大学医学部の病院を拠点に研究を進めているとのこと。そこで、ボストンと東京を繋いでのリモートインタビューとなった。

八木氏1
取材に応じるコルバトヘルスCEOの八木隆一郎氏

早期発見、早期治療が重要な心房中隔欠損症

八木氏は、健診施設や病院、クリニックなどの医療機関で計測される心電図から、〝隠れた心疾患〟を検知するシステムを開発した。心房中隔欠損症は最も一般的な成人先天性心疾患の一つ。未治療の場合は心房細動、脳卒中、心不全などの不可逆的な合併症を起こすことが知られる。

しかし、合併症を起こすまでは臨床症状が軽いため、健康診断で偶然発見されるか、症状の出現とともに指摘されるケースが多くあるという。早期発見と早期治療が重要とされ、有効なスクリーニング戦略の開発が求められている状況だ。

一般的に、心エコー検査が正確な診断方法とされているが、心エコー検査は時間や手間、費用がかかるため、症状のない多くの人に対して大規模な実施は、現実的には難しい。一方、心電図は心エコーと比較してきわめて短時間で行うことができる。これなら、集団で検査を行うことも可能だ。

標準的な診断フローとしては、心電図異常によって心エコーを受けるという流れだが、心房中隔欠損症は心電図が正常であることが多く、既存の基準を元にしたスクリーニング方法では見逃されるケースが多くあり、ここが現在の課題でもある。

そのような中、『eClinical Medicine』(2023年8月)に発表の八木氏が参加した研究では、深層学習法のモデルを使用して、1枚の心電図から心房中隔欠損症を高精度に診断予測できることが示された。こうした技術を健診などの一般的なスクリーニングに導入することで、早期診断や早期治療につながり、より良い医療を提供できる可能性が考えられる。
そして、この研究の成果をもとに開発されたのが「KORBATO SCAN」だ。

深層学習法のモデルを使用して研究開発されたKORBATO SCAN

心電図診断を深く考えるようになったきっかけ

都内の病院で循環器内科医として従事していた八木氏だが、通常の診療業務が終わった後に、100件、200件もの心電図読影をこなす日々を「日々、ボロボロになりながらも取り組んだことは、今思えば非常に勉強になった。一方で、心電図診断とは何かということを深く考えさせられた経験でもあった」と振り返る。

心電図の波形はたくさんの種類があり、その分類は70に及ぶ。その波形に当てはめながら、解析し診断を進める根気が要る作業。専門医であれば知識と経験から自信をもって読影できる。しかし、経験の浅い若手の医師や非専門の医師はそうではない。

「読影に時間がかかったり、苦手意識をもつ医師も多くいらっしゃるのが現実。たとえ読影が得意な先生であっても何百枚もあれば手間もかかるし、見逃しの不安はつきまとう」。

読影には時間と労力を要し、特に症例数が多くなると、医師の負担が増大し、見落としリスクも高まる。このような課題を感じていた中、留学先で画期的な研究を知った。

「心電図の波形の見た目の異常を超えて、直接、心疾患の有無を検知ができるということがだんだんわかってきている、ということを知った。これは素晴らしいなと感じ、その研究に飛び込んだ。」

このような経験から研究に入った八木氏。心電図読影の問題点を指摘している。それは、通常の心電図検査では、心電図の異常と実際の心臓病が必ずしも一致しないという点だ。心電図の波形の異常を目視で確認して診断するフローでは、異常の解釈において、医師の経験や知識が大きく影響することになる。つまり、読影する医師によって、会社にバラつきが生じてしまうという懸念だ。

「KORBATO SCAN」の開発へ

前述のように、心電図の波形の異常は細かく分類され、それぞれに診断基準が定められている。しかし、波形に異常があっても必ずしも心臓病と直接結びついているとは限らない。そのため、診断結果の解釈が難しく、経験の浅い医師や非専門医は特に苦手に感じることが少なくない。

「心電図診断は疾患の診断とイコールではない。心電図に異常がなくても心疾患がある可能性がある。反対に、心電図に異常があっても心疾患がない可能性こともある」と八木氏は言う。

どんなに心電図を正確に読めたとしても、どうしても見逃しや偽陽性が生じてしまうのが、従来の心電図診断ということになる。そういうものだ、と言えばそれで終わってしまうが、八木氏はそこに目を付けた。

「我々のAIは、細かい心電図診断のプロセスを飛ばして直接個々の心疾患を検知するようにトレーニングされている。これは、人間にはできない」と説明するが、どういうことだろうか。

人間にできないことでもAIならできる

例えば、「どんなにトレーニングを積んだ医師であっても、基本的には、心電図から心アミロイドーシスを正確に検知することはできないとされている」
深層学習の一種である畳み込みニューラルネットワークなどの技術を用いて、大量の心電図データからパターンを学習させる。学習には、膨大な電子カルテデータも取り込み、診断図撮影時には不明だったその後の診断結果と結びつけることで、AIの精度を高めることができる。こうしたAIモデルを活用し、「KORBATO SCAN」を製品化したのだ。

「我々が研究している心房中隔欠損症も心電図から見つけるのは困難とされており、専門医でも感度50%前後と言われている。我々のAIモデルを使うと感度90%以上(AUC(Area Under the Curve)0.9以上)になった」。

KORBATO SCANの特徴

心電図を取った時点では異常が見られなくても、後々、病気が見つかることがある。大量のカルテ情報を心電図と突合し、AIに学習させることをひたすら繰り返す作業を行った。

そして、できたAIモデルが「心不全や心アミロイドーシス、肥大型心筋症、心房中隔欠損症などの〝隠れた心疾患〟を心電図のみから高精度で検知する」という、人間ではできないことをAIでできるようにしたのだ。

いままで、現場の医師が身を削って読影してきた心電図。AI技術が進展することによって、まったく新しい解析方法が提案された。検査解析に時間を奪われることなく、治療を前に進められるようになる。この点が極めて画期的だ。

心電図AI診断支援システムの社会実装

今後、どのように社会実装していくのか。
「日本での展開を最初にしていく」
ボストンに身を置く八木氏だが、アメリカではなくなぜ日本からスタートするのか。

「その理由は、日本には健康診断制度があり、毎年5,000万件以上の膨大な数の心電図が取られているからだ。これは世界的にみて、ほぼ唯一のことであり、データが豊富にある。すでに解析対象の心電図データが多数存在する点が、日本でスタートする理由」。

このプロジェクトを前に進めるためには、資金調達も欠かせない。いわゆる医療スタートアップとして会社を運営していくにあたり、ベンチャー支援ファンドなどからの資金調達もしている。しかし、医療の専門的な知識がないキャピタリストたちに、この技術の有用性を理解してもらうことには腐心しているようだ。専門的な分野ゆえの苦労があるのだなと思った。

普及への第一歩

開発したプロダクトの普及シナリオについて聞いた。

八木氏は、「医療機関が使いやすい料金設定と形態で提供する。まずは日本で、健康診断を実施している医療機関向けに提供したい。将来的には日本だけでなく世界中の医療機関に展開し、世界中の健康に貢献することを目指す。早期発見・早期治療による心疾患患者の減少、ひいては世界中の健康への貢献を目指している」とビジョンを語った。

現在、「KORBATO SCAN」は、医療機器としての承認を得るための手続きを進めている。医療機器としてはまだ使えないが、「心臓年齢」を判定するような健診用途では、日本でも使えるアプリとしてすでに発表した。

心電図AI診断支援システムが普及する社会的意義

このプロダクトが普及することにより、無症状の心疾患を早期に発見できる。そして、早期治療を開始することで、重篤な症状や合併症の発症を抑制することが期待される。
また、AIが診断の一部を担うことで、医療従事者の業務負担が軽減され、より質の高い医療提供が可能となる。
さらに、「心臓年齢」表示のように、患者自身が自分の健康状態を容易に理解できる形で情報提供することで、健康意識の向上を促進することができ、患者自身の健康意識向上につなげることも期待できるだろう。

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取材に応じるコルバトヘルスCEOの八木隆一郎氏

「KORBATO SCAN」とは
心疾患の早期発見に特化した医療技術だ。通常の心電図データを医師の読影に加えてAI解析を行い、その場ですぐに結果を知ることができる。一枚の心電図から未診断の心疾患を90%以上の精度で検知可能で、早期発見により治療が可能な隠れた心疾患を対象としており、心不全や心筋虚血などを効率的に検出してくれる。また、本AIの基礎となる研究はすでに科学論文の形で国際学会や国際学術誌に発表され高い評価を受けており、信頼できる医学的根拠に裏打ちされた技術であると言える。このAIを用いることで、心電図の読影にかかる時間を削減し、医師がより重要な診療や患者対応に集中できるようになると期待されている。

編集後記

自身の体験から人類共通の課題を見出し、先進技術を取り入れることでその解決策を提案する真摯な姿に心を動かされた。八木氏が心電図解析の世界に革命を起こすかもしれない。そうした期待感で胸が高鳴る。なにより、人間がどれほどトレーニングしても到達できない領域があり、その領域にAIは到達できるポテンシャルがあるということを思い知らされた。

八木氏の取り組みは、AI技術を駆使して医療の未来を切り開く挑戦である。彼の真摯な姿勢と革新的なアイデアは、今後の医療に大きな影響を与えるだろう。このようなチャレンジは、他の疾患領域にも広がっていくに違いない。急速に発展するAIによる診断支援を今後も追っていく。