ライター 高山豊明
高血圧大国といわれる日本。
40 歳以上の国民の約 2 人に 1 人が高血圧症と診断されている。
厚生労働省の「国民健康・栄養調査」によれば、日本における高血圧症患者数は1980 年代から増加し2010年頃にピークを迎えた。近年、少し減少したが依然として多い。2020年の統計でも患者数は約 4,000万人だ。
高血圧が進行すれば、いずれ薬を飲み始めることになってしまう。
医療費増大に悩まされる日本において、もし、薬の服用を抑えることができれば国の財政のためにもなる。そのような中、薬以外の選択肢として治療アプリが保険適用になった。
「CureApp HT 高血圧治療補助アプリ」。このアプリは現段階ではAI技術は活用していない。高血圧患者に行動変容を促すためのプログラム医療機器だ。
「CureApp HT 高血圧治療補助アプリ」の使用感
この治療アプリを採用した脳神経外科クリニック院長の市村真也医師に話を伺った。
神奈川県川崎市で地元市民に愛されるクリニックだ。市村医師を信頼し遠方からも患者が訪れる。
2023年秋ごろ、このアプリの存在を知り治療に取り入れた。
アプリを処方すると、「一番弱い降圧薬と同じくらい、血圧が下がった」。
新しい治療法は一例目が大事という市村医師だが、処方してその効果に驚いたという。
アプリで治療する意義
このアプリで効果が出れば、「薬を飲み始めるのを数年単位で遅らせることができる」とその意義を強調する。脳神経外科は、脳梗塞リスクの高い患者が多い。リスクを抑えるために普段から血圧を下げる必要がある。市村医師のもとには、そうしたリスクを抱える患者が多く訪れる。
血圧が高い患者は、いずれ薬を飲むことになる。しかし、市村医師は、「40 代から薬を飲ませることには抵抗があった」。薬を飲まずに血圧を下げられるなら、患者にも喜んでもらえると確信したという。
言うまでもなく、高血圧症は生活習慣の改善と薬物療法の組み合わせだ。しかし、薬を毎日服用する必要があることから、服薬コンプライアンスが低いという問題がつきまとう。高血圧患者は、月 1 回通院して管理するのが普通だが、アプリなら離れていてもデータをいつでも見られる。そのため、実態把握にも役立つ。
また、血圧日記は患者によっては続かないこともあるが、アプリなら楽しみながら日記をつけられるようだ。アバターが画面上で患者に寄り添ってくれるようなやり取りがあり、継続率が高い。継続できれば治療効果も出しやすい。患者にとっても、管理する医師にとってもメリットが大きい。
アプリ処方のケース
実際の治療成果を見せてもらうと、治療前に150前後だった患者の血圧が、3 か月後には130前後に下がっている。そして、アプリ治療が終了した6か月後には、なんと125前後で落ち着いている。これが薬ではなく、アプリを処方した結果だという事実に驚いた。
この結果について市村医師は、「すぐに下げないといけない場合は薬を処方する。ただ、40 代で、長期的に見て、薬をできるだけ飲みたくないという患者には、アプリ処方は有用。また、薬を飲まなければ当然、副作用もないので患者も安心感がある」と説明する。
患者向けアプリはスマホでの操作になるが、高齢の方でもパンフレットを渡すだけで、短時間の説明で使ってもらえているという。このクリニックでは、実際に40代の患者だけでなく、70代の患者まで幅広く適応してい る。〝できるだけ薬を増やしたくないという〟患者ニーズに応えるための選択肢が広がった。
開発者に聞く
「CureApp HT」を開発した株式会社 CureApp で代表取締役社長を務める、医師の佐竹晃太氏に話を伺った。〝スマート療法 〟を掲げ、その社会実装に取り組む同社。今から10 年も前から治療アプリ開発に着手している。
スマート療法とは、薬と同じように有効性や安全性が確認され、医療機器として承認された「治療アプリ」を使って、医師が高血圧治療にあたる一連のプログラムのことだという。高血圧症のほか、ニコチン依存症(禁煙治療)、NASH(非アルコール性脂肪肝炎)、減酒(アルコール依存症)などの治療アプリも手掛ける。
治療アプリの社会的意義
このような治療アプリの社会的意義はどこにあるのだろうか。
佐竹氏は「治療アプリを通して、患者さんは自身の健康状態を医師に共有しやすくなる。そのため、これまで以上に 密なコミュニケーションが可能になる。患者さんは診療時に自身の生活習慣や治療の経過を医師に報告し、医師はそれに基づいたアドバイスができる。この双方向のやり取りは、患者さんにとっては治療に対するモチベーション向 上に繋がり、医師にとっては患者の行動変容を促す上で有効なツール」と説明する。
治療アプリの開発には、その有効性を実現するため多くのバックデータが必要だ。同社は、いち早く治療アプリを市場に投入したことで、多くの患者データを取得している。そのデータを元に、より効果的なアルゴリズムや メッセージを探求し、アプリの改善を行っていきたいという。
この治療アプリは、従来の薬物療法や外科療法とは異なる新しい治療法として、医療現場に新たな価値を提供し ようとしている。特に、生活習慣病の治療では、患者自身の行動変容を促すことが重要となる。
従来、高血圧症などの生活習慣病の診察時間は5分~10分程度と短い。その中で、医師が患者の状態を確認し、薬を処方する。患者と医師のコミュニケーションは短時間かつ限定的で、患者は自身の生活習慣について積極的に医師に話すことは難しい。治療アプリがあれば、診察室外の患者の様子を把握することができ、患者へのきめ細やかな指導、生活習慣改善のサポートが可能になる。
アプリの介在により、患者は自身の状態をアプリに記録し、医師と共有するようになった。患者は自身の生活習慣をより意識するようになり、医師との間で具体的な行動やその結果について対話することが増えるという。患者は自身の生活習慣やその変化を医師に知ってもらうことで、医師との間に心理的なつながりを感じ、治療へのモチベーションも高まるという具合だ。
一方、医師もアプリを通じて患者の努力や変化を具体的に実感することができる。患者への理解を深め、より親身になった診療を行うことができるようになる。導入した医師からは、患者とのコミュニケーションが円滑化し、信頼関係構築に繋がったという声が聞かれるのだという。
このように治療アプリの存在は、医師と患者双方に変化をもたらす可能性が高い。
従来、無機質になりがちだった医師と患者の相互理解や相互信頼関係が深まるきっかけとなる。治療を双方向的なものに変えることは、非常に意義のある取り組みだと感じた。
さらに、医療費の削減に寄与する可能性も高い。高血圧などの生活習慣病の薬は、一度飲み始めると、生涯飲み 続けなければならないことが多い。そのため、医療費負担の増大が課題となっている。薬を出さずに、アプリで 生活習慣の改善を促すことができれば、薬の処方量は減る可能性がある。したがって、医療費削減への貢献が期待できるのだ。
治療アプリがどのように作られているのか
さて、治療アプリの仕組みはどうなっているのか。CureApp の治療アプリでは、患者一人ひとりに合わせた個別のメッセージ、アドバイス、動画などで生活習慣の改善をサポートしている。従来の薬物療法とは異なり、患者自身の行動変容を促す治療法だ。
アプリで提供される内容は、医学的な根拠に基づいて作成され、医師や医療専門家によって監修されている。また、アプリの使い心地にもこだわり、患者が継続して利用しやすい設計。実際に患者がアプリを使用することで 得られたデータに基づいて、アプリの機能やコンテンツを改善していくサイクルを確立し、常に進化させることができる という。
開発体制は、医療専門家、医師、エンジニア、UX デザイナーなど、治療アプリ開発に必要な専門知識を持つスタッフが社内に揃っている。この体制により、医学的に正確であるだけでなく、使い心地のよいアプリを開発することを可能としている。「医療現場での経験が乏しいIT企業や、アプリ開発のノウハウがない製薬会社にはない強み」という。
今回の記事で取り上げた治療アプリは、冒頭にも伝えたが、アプリ内部のアルゴリズムはAIではない。佐竹氏によれば、「治療ガイドラインや論文を基に構築されている。このアルゴリズムは、患者の行動変容を促すために、セルフモニタリング(記録)を含む様々な理論、考え方、メソッドが取り入れられている」。
そして、このアプリは医学的な根拠に基づき、薬と同じように効果があることが証明され保険適用されている。保険適用は医療従事者からの信頼を得る上で重要な要素だ。医療機関側が導入費用を負担する電子カルテやオンライン診療システムとは異なる。医療機関はアプリを処方するごとに診療報酬を請求する。導入コストや在庫コストがないのも使いやすい。
医療格差の改善
現在、医師の偏在問題は解決していない。こうしたアプリの登場で、標準化された質の高い治療を提供できることにつながる。地域や医療機関による医療格差の改善を促すことになるだろう。
佐竹氏は「今までの新しい医療技術は、高度な医療機関でしか提供できないことが多かった。それらは医療格差を広げる可能性がある。しかし、CureApp の治療アプリは、質の高い治療を、場所を問わず多くの患者さんに提供できる。つまり、東京の大学病院でも、地方のクリニックでも、同じクオリティの治療を患者さんに提供することが可能になる。これにより、医療格差の改善に貢献できると考えている」と熱を込める。
治療アプリが切り拓く未来
同社は、現在開発中の 7 つの疾患に加え、さらに多くの疾患に対応する治療アプリの開発、提供を目指している。 今後について佐竹氏に聞くと、「これからは、診察室の外にいる患者さん、潜在的な患者さんにもリーチし、適切な治療に繋ぎたい。そして、より多くの人々の健康増進に貢献したい」とビジョンを力強く語った。
編集後記
薬に代わるアプリ処方の可能性
治療アプリは、従来の薬物療法や外科療法では十分に対応しきれなかった生活習慣病治療の質向上、医療費削減、医療格差の改善に貢献することが期待される。
薬に頼らない療法にはメリットがある。標準医療から個別化医療へ。そして、治療から予防医療へ。日本社会はこれから大きく変化する。今後、様々な生活習慣病に対して治療アプリの処方が展開されていくことに期待が高まる。
一方、新しい技術の適切な評価が必要だ。今回取り上げたアプリは AI といった人工知能を活用したものではなかったが、今後、AIを活用した治療アプリも出てくるに違いない。人間がコントロールできる範囲での活用に留めることができるだろうか。倫理的な問題への対応も必要だ。また、今まで利活用が限定的だった患者データがいつでもどこでもスマホでアクセスされるようになる。こうした治療アプリが外に出ることで、データセキュリティを強化し、患者のプライバシーを護ることにも目を向けなければならない。
さらに、治療領域が広がっていくと患者も医師も管理すべきアプリが増えていく。私たちは、増えていくアプリを適切に管理することができるだろうか。適正に使用しなければ、医療費の削減も治療の有効性は、反対の方向へ走ってしまうだろう。
治療アプリが増えることは良いことだが、それを扱う医療従事者への研修、悪用や盗用を防止するための法整備、患者への啓蒙も必要になりそうだ。医療AIやプログラム医療機器が適正に広がっていくことを願いながら、今後も追っていきたい。