はじめに
近年、健康管理や生活習慣の改善を支援するアプリが数多く登場しており、中には医療機器として承認され、医療現場で処方されるアプリも出てきている。特に、睡眠や行動変容に関するアプリの流行は目を見張るものがあり、ユーザーの日常生活に大きな影響を与えている。
これらのアプリを使用する中で、私は一つの疑問を抱いた。
「もし、このような技術が医療現場で普及したら、どのような変革が起こるだろうか?」
この疑問を解消すべく、今回はサスメド株式会社へ取材を打診した。
サスメド株式会社の取り組み
サスメド株式会社は、2015年に設立されたデジタル医療企業だ。医療用アプリケーションの開発を通じて、疾患治療と医療の効率化を目指している。同社は、不眠症治療アプリをはじめとしたデジタル治療アプリの開発から、日本の医療現場に新しい風を吹き込もうとしている。
デジタル治療アプリは単なるヘルスケアアプリとは一線を画しており、疾患の治療効果と安全性を治験で証明し厚生労働省により承認された上で、医療現場にて治療目的で処方される医療機器である。
今回は、サスメド株式会社の代表取締役社長であり、医師として睡眠障害の外来診療も行っている上野氏に話を伺った。
私は、不眠症を薬物療法以外で治療するという話をあまり聞いたことがなかった。果たして、薬ではないデジタル治療アプリがどのように役立つのかとの問いに、上野氏は、
「薬物療法だけでは解決が難しい不眠症や耳鳴りなどの慢性疾患に対して、デジタル技術を活用した新しいアプローチを提供したいと考えています」と応じた。
同社の開発しているデジタル治療アプリの中でも、特に注目を集めているのが、不眠症治療アプリ「サスメド Med CBT-i」である。このアプリは、認知行動療法(CBT)を基にして、患者ごとの個別化された治療プログラムを提供する。不眠症の患者が睡眠薬に頼らず、自身の行動パターンや考え方を修正し、不眠症の症状を改善することを目的としているという。
私の周りでも「一度睡眠薬を服用したことで、睡眠薬が無いと眠れなくなってしまった」という悩みは、よく耳にする。薬に頼らずに諸症状が軽快するならばそれに越したことはないだろう。
日本の医療現場における課題
特に不眠症治療において、日本は欧米に比べて大きく後れを取っている。
上野氏は「欧米の不眠症治療のガイドラインでは、以前から第一選択として認知行動療法が推奨されています。日本では専門家の不足などの理由から、依然として睡眠薬が中心的な治療法です。最近改定された欧州の不眠症ガイドラインでは、デジタルによる認知行動療法も第一選択として明記されました」と危機感をにじませる。
確かに、厚生労働省の調査では、日本の睡眠薬処方量が先進国で最も多い。患者の健康リスクや医療費の増大が深刻な問題になっているとの指摘がある。1
現在、睡眠薬の適正使用に関する政策や、多剤処方に対する保険点数の減額といった措置が講じられている。
デジタル治療アプリとは
さらに上野氏は「日本の医療現場は、最新のエビデンスに基づく治療法の導入がまだ十分ではありません。デジタル治療アプリは、医療現場の多忙さやリソース不足などの課題を乗り越えて、このギャップを埋める解決策になると考えています」と指摘する。
デジタル治療アプリとは何か、さらに詳しく伺った。
「デジタル治療アプリは、医学的エビデンスに基づき、特定の疾患における患者の行動や認知を変容させることを通じて疾患治療を目的とした医療機器です。医師により処方されることで、スマートフォンやタブレットなどのデジタルデバイスを通して提供される革新的なアプローチです。
最大の利点は、24時間365日、患者さんに寄り添えることです。また、収集したデータを分析することで、より個別化された治療方法を見出すことができます」と上野氏。
サスメド社が開発するこれらのアプリは、薬に頼らない治療法としての位置付けを確立しつつある。
特に認知行動療法に基づいた不眠症治療は、ガイドラインの推奨する非薬物療法を提供する手段として大きな効果を発揮する。さらにサスメド社が開発した、不眠症治療アプリ「サスメド Med CBT-i」は、医療機器として厚生労働省の承認を得ており、今後保険適用が進むことでさらに普及が期待されている。
多様な分野に広がるデジタル治療アプリの可能性
サスメド社の取り組みは、不眠症治療にとどまらない。
がん患者の心理ケアや慢性腎臓病患者の生活指導、めまい治療の分野でもデジタル治療アプリの開発を進めており、耳鼻科や産婦人科領域では各製薬会社と共同開発を進めているという。
「例えば、がん患者向けのアプリは、終末期の患者さんの心理的なケアに焦点を当てています。うつ病の併発や、積極的治療から緩和治療に切り替える心理的問題に対処することを目指しています」と上野氏は説明する。
慢性腎臓病患者向けのアプリについては、透析予備軍の患者さんに対する運動療法や食事療法、生活指導を行います。慢性腎臓病ではこれまで安静が推奨されていましたが、最新の研究では適度な運動が腎機能の改善に効果があることが分かってきたとのことだ。
また、めまいや耳鳴りといった慢性疾患は心理的要因が大きく影響することが多く、薬物療法が効果を発揮しにくいため、サスメド社のアプリによる治療が新たな選択肢となる。
現在は複数のデジタル治療アプリで臨床試験が行われており、医療現場での普及が期待されている。
クリニック経営への影響
これらのアプリの共通点は、専門的知見による患者への働きかけのアルゴリズム化だ。非専門医でも薬物療法以外の治療を選択できるようになる。
デジタル治療アプリの普及は、クリニック経営にも大きな影響を与えると上野氏は指摘する。
「デジタル治療アプリは、クリニックの先生方にとって、新しい武器になると考えています。特に、かかりつけ医の役割が重要視される中、幅広い疾患に対応できるツールとして有効です」
特に注目すべきは、睡眠障害やめまいといった一般的で患者数の多い疾患に対し、ガイドラインが推奨する適切な治療を診療時間を増やすことなく提供できるようになる点だ。
患者は24時間、アプリによって治療の支援を受けることができ、医師の負担は軽減する。患者満足度の向上やクリニックの効率化に寄与するだろう。
強い患者ニーズと追いつかない「認知行動療法」の価値共有
興味深いことに、不眠症のデジタル治療アプリについて、患者からの問い合わせが増えているという。
「法整備や保険適用に先んじて、患者さん側のニーズが高まっているのが現状です。『長年睡眠薬を服用しているが、どうやってやめられるか』『このアプリをいつから使えるのか』といった声が多く寄せられています」と上野氏は語る。
医療を受ける患者においてもデジタルツールの活用を自然に受け入れる素地がある〝デジタルネイティブ世代〟の増加も一因だ。しかし多くは、長年内服が続く薬物療法の副作用への懸念の声が多いという。健康リスクの少ない治療法を求める患者が増加している。
「令和6年度の診療報酬改定では、不眠治療における対面式の認知行動療法が保険適応となりませんでした。国としても睡眠薬の適正使用に課題を持っており、睡眠薬の代わりとなる治療法が医療現場で活用できるようになることで課題解決につながるはずだと思います。世界基準の治療を患者さんにお届けできるよう、引き続き保険適応を目標に取り組んでいきます」と上野氏は強調した。
今後の展望
デジタル治療アプリの普及は、海外ではすでに積極的に進められている。例えば、イギリスでは国立医療技術評価機構(NICE)が、医療経済性を重視して不眠症に対するデジタル治療の導入を推進しているという。日本も徐々にこの流れに追いついていくと、上野氏は予測する。
さらに上野氏は「今後5年以内に、デジタル治療アプリが医療の標準的なツールの一つになると確信しています。私たちは、その先駆者として、日本の医療の質の向上に貢献していきます」と力強く語った。
サスメド社のデジタル治療アプリは、今後さらに多くの疾患領域に対応し、医療現場のデジタル化を加速させると期待されている。保険適用が進めば、クリニックでも導入が進み、治療の選択肢が広がるだろう。
かかりつけ医として求められる機能が加速度的に増えているクリニック経営。今後こうしたデジタル治療アプリの活用が欠かせない要素となりそうだ。
まとめ(編集後記)
今回の取材を通じて、私はデジタル治療アプリの持つ可能性に改めて気づかされた。特に、日本の医療現場が抱える多剤処方の問題や、デジタル治療の遅れをAIやアルゴリズムが補完できる未来は、クリニック経営を合理化する大きな一歩となるだろう。専門外の医師でも、こうしたデジタルツールを活用することで、専門家に近い診療を提供できる可能性が広がっている。そして何よりも、患者自身がこの変革を求めている。薬だけに頼らず、デジタルツールでの治療を希望する声はますます大きくなるだろう。
今後、こうしたニーズに応える形で、クリニック経営者もまた、新しい医療の形に目を向けていく必要があるのかもしれない。
(取材・文:DOCWEB 編集長 高山豊明)
- 令和 3年度厚生労働省大麻等の薬物対策のあり方検討会より ↩︎