ライター:高山豊明
ふとテレビをつけると、AIを用いてインフルエンザの検査を行う映像が流れていた。
そのテレビに映っていた検査は、口の中の写真を撮影することでコンピュータが判定結果を表示するものだった。保険も適用される。テレビの中でインタビューを受けた患者もラクだと言っている。私も一人の患者として、低侵襲の検査は大歓迎だ。
AI医療機器を用いた診断が公的保険に新機能・新技術(C2区分)として収載される国内初(注1)の事例として、保険適用されたAI検査機器「nodoca®」の登場で、〝医療AI〟は普及加速となるだろうか。医療 AI を追う。
1)厚生労働省が公開する令和4年度~平成25年度の中央社会保険医療協議会総会議事録をアイリス株式会社が確認する限りの情報(2022年9月14日時点)
地域のかかりつけ医に nodoca(ノドカ)の使用感を聞いた―七条医師
nodoca の導入施設は全国で1000件を超える。(24年4月現在)。導入施設の一つである千葉県の稲毛海岸駅前のたかす腎・泌尿器クリニック院長の七条医師に話を伺った。
駅前の便利な立地にあり、地元市民のかかりつけ医として一般内科も標榜しているため、このクリニックには泌尿器疾患の患者だけでなく、発熱外来にも多くの患者が来院する。2023 年 8 月頃、七条医師は日頃から付き合いのある卸業者の担当者から「nodoca」の存在を聞いた。患者の苦痛を減らすことができるならばとインフルエンザシーズンに合わせ、11 月からの導入を決めた。
導入に必要な機材は Wi-Fi 環境とインターネットにつながるノートパソコン1台。あとは nodoca 本体が置ける。ちょっとしたスペースがあればよい(なお、nodocaの使用にあたっては舌圧子の機能を兼ねた専用の使い捨てカメラカバーが必要)。多くのクリニックは、診察室のスペースはそれほど広くない。新たに検査機器を設置するための場所は限られるが、このサイズならば難なく置けるだろう。コンセントの口が近くにあるほうが使いやすそうだ。
医師なら特別な講習を受けなくても使いこなせる
nodoca の検査予約が入ると、スタッフが電子カルテにオーダーを記載。それを確認した医師が nodoca を使って検査を行う。検査の選択肢が増えるだけで、従来の鼻腔検査と同じ流れだ。七条医師のクリニックでは診療フローを変更する必要はないとのことだった。電子カルテとの連携は必要なく、単独で使える。検査の手技は簡単で、特別な講習を受けなくても、判定に必要十分な撮影ができるという。
七条医師もすぐに慣れたという。喉が開かず撮影しづらい患者がいた場合は、患者に声を発してもらうことで喉が開き撮影できるそうだ。撮影すると写真データがインターネットを経由してパソコンに転送され、解析結果が表示される。この間、およそ3秒程度(通信環境により数秒〜十数秒)。その速さに驚いた。
ただ、従来の鼻腔検査の場合は、インフルエンザとコロナの両方を一度にまとめて検査できるが、nodoca で検査できるのはインフルエンザのみ。コロナの検査をする場合は、別途行う必要がある。インフルエンザとコロナの両方を検査する場合、やはり従来の鼻腔検査のほうが手間は少ない。nodoca でインフルエンザとコロナの両方の検査ができるようになるとこの課題は解決できる。
ここは、今後の普及に関わるためメーカーの開発力に期待したい。このように、医師の作業負担は増えてしまうこともあるが、この差分をどのように捉えるかは医師によるだろう。
今後、患者へ認知が広がることを期待
気になるのは検査結果の精度だが、nodoca に限らず、そもそも検査の「感度」や「特異度」が 100%というものは存在しない。医師としての知識と経験から、検査結果に違和感を持った時は、患者に説明したうえで鼻腔検査も実施するなどの丁寧な診療が必要だ。将来、たとえAIが発達しても最終の責任は医師側に求められるからだ。医師という仕事は本当に大変な仕事だと、本当に頭が下がる。
このクリニックでは、発熱外来でコロナ検査とインフルエンザ検査の予約を受け付けている。インフルエンザ検査を希望する患者が、鼻腔検査か nodoca のどちらかを選択できるようにしている。その際、患者に対して「当院では、咽頭撮影による AI 診断の機器を導入しております(保険適応)」と補足説明を付記しているが、nodocaによる検査を希望する患者は一部に留まっているというので、意外に思った。もしかしたら、この説明文だけでは患者が新しい検査をイメージできないのかもしれない。
院内にもポスターを貼ってアピールしているが、患者の関心はあまり高くないという。七条医師は「もう少し認知が広がってくれれば」と期待とのギャップを感じている様子だった。私は仕事柄、こうした情報に接する機会が多いため、すぐに興味を持った。
しかし、一般の患者にはまだまだ nodoca の認知は広がっていないようだ。事実、私の妻(一般の会社員)も nodoca の存在を知らなかった。それでも七条医師は、「患者の苦痛が軽減されることを優先することで、患者から選ばれるはず」と nodoca 活用に前向きだ。
へき地医療を経験し、診断力の大事さを痛感―沖山医師
nodoca を開発したアイリス株式会社で代表取締役を務める沖山医師に話を伺った。
昨年、世界最大級といわれるグローバルピッチコンテスト・カンファレンス「スタートアップワールドカップ 2023」という新興企業があつまる世界大会で優勝した沖山医師。それ以来、ビジネス界でも一躍、時の人となったが、約束の時間になると机の向こうから爽やかに走ってくる。過密スケジュールの合間でなんとか時間を割いてくれたようだ。
沖山医師は、東京都内の日本赤十字社医療センターで救急医として働き、沖縄県の離島でへき地医療を担った。
あらゆる検査機器が揃った環境から一転、へき地医療の現場に。一般レントゲンのほかは、かろうじて心電計があるのみ。超音波診断装置もない中で診察をしなければならない。へき地医療では病院のように、頼れるベテラン医師が何人もいるわけではない。疑わしいと思えば、「3分でも5分でも、患者さんに聴診器をあて続けた」。
ベテラン医師の診断力をAIで再現すれば、多くの医師をサポートできる
奮闘する中、‶医師は診察力が大事〟であることを痛感。例えば、腹痛を訴える患者であっても、腹部だけでなく、必ず、熱、胸の音、そして「喉」の状態を見る。患者を診るための「3点セット」の一つが喉なのだ。患者の私からすれば、お腹が痛いのに、なぜ喉を見るのだろうかと疑問に思う。しかし、喉を観察することによって、非常に多くの病気を判定できるという。
以上は一例だが、喉の所見に関わらず、聴診器から聞こえる音を聞くことで高度な診断ができる‶ベテラン医師〟がいる。一方、若手医師がそのベテラン医師に追いつくには、集中した訓練を継続しても何十年もかかる。もしくは、一生かかっても追いつかないかもしれない。そうであるならば、AIを活用することによって、若い医師であってもベテラン医師の診断力に近づけることができたらよいのではないか。沖山医師が研究を始めたきっかけだった。
AIは、医師の仕事を拡大するとともに‶温かい医療〟を提供するためのツール
今後、AI を活用した医療機器、検査機器、診断支援ソフトなどが国内に広がっていく社会的な意義とは何だろうか。
一般に AI は心がなく冷たいもので、自分の仕事を奪うものと認識されていたが、沖山医師はそうではなく、「AI は医師ができる範囲を拡げるものであり、多くの医師が目指す‶温かい医療〟を提供できる」という。
保険適用となった nodoca
患者の生命を左右する医療の世界は厳しくもある。適切な医療が提供されるために厚生労働省は規制当局としての顔が色濃いように私は感じていたが、厚労省には研究開発振興課という部署がある。「次世代のより良質な医療提供を可能にする、新たな治療法や日本発の革新的医薬品・医療機器の開発に必要な臨床研究や治験を推進する」部署だ。
アイリスの共同創業者である加藤浩晃氏も医師であるが、この研究開発振興課に従事していた経験がある。新しい医療機器の研究開発を進めるための要件を熟知した加藤医師は、医療機器承認のみならず、その後の保険適用までを想定したシナリオを描くことができた。
沖山氏が医師であることは有利に働いたが、誰も知らない新しい AI 検査機器である nodoca が全国に広がった背景には、やはり保険適用されたことが大きい。日本の医療現場で使われるためには、厚生労働大臣の承認があったうえで、保険適用されることが重要だ。国民皆保険制度をもつ日本では、保険収載されることがその信頼性を担保することにもなる。
しかし、厚生労働大臣 の承認を得たうえで、保険適用まで実現させることのハードルは高い。実際、研究や治験、ハードウェアやソフトウェアの研究開発に要する費用は莫大だ。しかも、世の中にないものを創造し、企業としての‶年齢〟も若い。どれほど大変なことを実現したのかと驚いた。
沖山医師は言う。「厚生労働省はニュートラルでした。スタートアップ企業に対しても、老舗企業に対しても。だからこそ、nodoca が保険適用となったことで、実際にお使い頂く現場の医師の先生が信頼してくださるのだと思います。」
覚悟ができたのは、責任を感じたから
大手老舗の医療機器メーカーであれば経験のある人材も多く、資金力もある。それと比較すれば少人数で資本もゼロから集める必要のあるスタートアップ企業が、ここまでの挑戦ができたことにも感嘆した。相当な覚悟がなければ挑戦できない。偉業ともいえるのではないか。
その原動力について沖山医師は「実現したい医療の目標が大きくて・・・。新しい検査機器を一つ作るのにも大変な取り組みでした。ただ、nodoca の研究・開発のために、1 万人以上の患者さんや非常に多くの病院・診療所の先生方にご協力いただいき、喉の画像データを提供してくださいましたので、この研究を進めるのは私たちしかできませんし、それをカタチにしていく責任があると感じているんです」と。
最後に、沖山医師に将来ビジョンを聞いた。
「nodoca は〝のど〟の〝カメラ〟でnodoca(ノドカ)と名付けました」。
nodoca はハードウェアとAIを用いた検査システムであり、nodoca で撮影した画像データをクラウド上にアップして診療情報と併せてAI解析する。検査レポートもクラウドからダウンロードする。解析するためにAIを活用しているが、AIは目的ではない。あくまでも解析するためのツールに過ぎない。将来、もっと便利なツールの組み合わせが見つかれば、AIにこだわらない。さらに、画像データを解析するソフトウェアやアプリをアイリス以外の別の会社が開発してもよいかもしれないという。
そして、「将来的には DICOM のような規格化や電子カルテ連携が進めばよいと思いますし、ハードウェアとしての nodoca が、まるで iPhone のようにサードパーティーが開発した多様な医療アプリケーションと連携できるようになるとよいですね。」と将来の展望への希望を語ってくれた。
取材後記
メーカーの情熱によってインフルエンザの診断支援を行うAI搭載医療機器としては国内初として生み出された発明。
患者の負担を減らすだけでなく、医師の負担も減らす新しいツールだ。厚労省も期待を寄せるが実際には困難の連続だった。患者への普及にはまだ課題もある。
nodoca に限らず、AI 診断支援は黎明期だ。現在はモダリティの画像診断領域がその多くを占めるが、センシング技術が向上することで、臭気や触感、波形や可動域などを数値化し計測できるようになれば、ますます守備範囲が広がり、確実に発展していくだろう。また、これからさらに多くの医療機関で使用されることによって、より精度の高い検査や診断、治療となっていくに違いない。
安心安全な医療を提供するためには、臨床データをたくさん集め、より信頼性の高いエビデンスが必要だ。医師の業務は過酷で間違いも許されないがゆえに、新しい技術を採用することには慎重にならざるを得ない。
しかし、医療者とメーカーと患者、行政が協力し臨床データの収集をスピーディに行う社会の仕組みが確立できれば、こうした新しい技術を取り入れやすくなるはず。医師だけに頼るのではなく、患者の協力も不可欠だ。
折しも、本年(2024 年)4 月は「医師の働き方改革」がスタートとなった。nodoca の成否は、日本の医療の行方を左右することになるかもしれない。これからも医療AIを追っていきたい。