小橋 正樹
日本産業衛生学会専門医/社会医学系専門医/
労働衛生コンサルタント(保健衛生)/メンタルヘルス法務主任者
産業医科大学医学部医学科卒業。福岡記念病院、南部徳洲会病院にて主に救急診療医・総合診療医として従事。産業医科大学産業医実務研修センター修練医を経て、現在は建設企業の統括産業医のほか、IT、金融、物流、エンタメ業など約10社で嘱託産業医を務める。担当企業の多数で健康経営銘柄、健康経営優良法人(ホワイト500)等の取得に貢献。
SNSを中心に積極的な情報発信を行なっており、メディア掲載多数。2019年1月、オンラインで産業保健に関する相談をし合える場としてFacebookグループ「産業保健オンラインカフェ」を開設し、現在500名を超えるコミュニティにまで拡大している。
Twitter:https://twitter.com/masaki_kobashi
FBグループ:https://www.facebook.com/groups/543427799399164/?ref=share
健康経営銘柄や健康経営優良法人など、いま国が積極的に普及促進する「健康経営」。建設業で統括産業医を務め、約10社の嘱託産業医を兼務する小橋正樹氏に、健康経営を実現するために必要なことなどについて話を聞いた。
産業医は、医師の資格を持ちながら、一般社会に貢献できる仕事
1985年岡山に生まれました。高校生の頃、日本は不況で、「資格を取ったほうがいい」と、家族には医者や弁護士になるのを勧められました。当時はそんな気はありませんでしたが、卒業後の進路を迷っていた時、産業医科大学に通っている先輩から、産業医という仕事について話を聞く機会がありました。「医師の資格を持ちながら、一般社会に貢献できるのは面白そうだ。」と興味を持ち、2004年に産業医科大学に入学しました。
大学卒業後は、3年間救急医として勤きました。働き盛りである若年者の自殺や、一家の大黒柱となる中高年が脳疾患や心臓疾患が原因で亡くなるのを間近で見てきました。働く世代の人が倒れた時、家族は悲しみだけでなく、「自分たちの生活はどうなるのだろう。」と、経済的なダメージも受けることになります。主治医として何十人もの患者さんを看取った中で、今でも脳裏に焼き付いているのは、本来はもっと働くことができたのに助からなかった人々です。病院は、いわば滝から落ちてきた人を救う場所。私は、滝から落ちないようにするための予防医療に携わりたい。そんな想いから、産業医になることを決心しました。
医者になって4年目、産業医科大学に修練医という身分で戻りました。2年間産業医養成講座を受講しながら、西日本を中心に計20社ほどの企業を産業医として受け持ちました。修練期間を終えた後は、東京に移り、建設会社の統括産業医に。超がつく大企業の場合、常勤産業医が数十人いるというケースもあります。私は、会社における健康デザインの構築に自由と責任を持ってチャレンジしたいという気持ちが強く、常勤産業医が一人の会社を選びました。現在は、その他にも業界の違う会社の嘱託産業医を約10社担当しています。
産業医は法で50人以上の企業に選任が義務付けられていますが、その主な仕事は治療ではなく予防に関するものです。面談や健康診断などを通じて、働けるのかどうか、働けるにしてもどのような働き方が適切なのか、といったことを医学面から判断して企業にアドバイスを行い、また職場巡視や健康教育など、個人だけでなく組織全体の健康に対するアプローチもしています。
未来の医療のために健康経営ができること
予防医療と医療費の問題が最近取り沙汰されていますが、いずれにせよ適切な予防により健康寿命が伸びるのは十分価値のあることではないでしょうか。一方で、予防に対してのインセンティブが働く制度設計にまだまだ開拓の余地があると感じています。その中でも私の担当する職域での話ですが、健康のために日々生きている人なんてまずいません。「社会的に成功したい」「家族や友人との時間を大事にしたい」といった健康以外のことを目的としていることがほとんどです。だから例えば「デキると言われる社員になるための健康マネジメント研修」といった風に、「健康は目的ではなく手段」と割り切ってアプローチしていく必要があります。
また、企業もまた利益や事業発展を目的としていますので、そのための手段として健康をうまく取り込んでやらないといけません。そこで「社員の健康管理を経営的な視点で考え戦略的に実践することで、社員の活力向上や生産性の向上等の組織の活性化をもたらし、結果的に業績向上や株価向上に繋がる」というコンセプトのもと編み出された健康経営の概念が生きてきます。
優れた健康経営を実践している企業を表彰する「健康経営銘柄」や「ホワイト500」などの認証制度がありますが、今や応募企業はウナギ登りで産業保健の界隈でも一大ブームとなっています。「社員の健康や働き方に力を入れている」というのは売り手市場の現在において大きなブランディングになりますしね。もちろん認証取得だけに終始して肝心の健康施策がおざなりになってしまっては本末転倒ですが、こういったインセンティブ制度などをうまく利用して企業に健康を根付かせるきっかけ作りをしていくことが医療にも好影響を与えると思っています。
例えば企業で行なわれる健康診断ですが、せっかく受けても結果を放置していたら意味がありません。いくら画期的な新薬の開発が進んでも、そもそも医療機関を受診してくれないと元も子もありませんから。そのような打開策として例えば「ローソン」では、健康診断を受けない場合、医療機関受診が必要と判定されたのに受診しない場合、本人だけでなく上司もボーナスが削減されるルールとなっています。
このように、企業として制度づくりをしていかないと、仕組みとしてうまく回りません。私は統括産業医として経営と健康をリンクさせる規程文書体系を作成していますが、今後はその成果物をどんどん日本中の企業に普及していきたいと考えています。
医療は医師の善意で成り立っている
働き方改革イコール残業対策という印象が強くなってしまいましたが、働き方改革が本来目指しているところは「働き方の多様化」、もっと言えば「生き方の多様化」です。だから存分に働きたい人もそんなに働きたくない人も好きにすればいいし、対する企業は成果に応じて相応の報酬を払えばいい。ただ、それが皆できているなら不幸な過労死や過労自殺がこんなに蔓延することはないでしょう。人は環境に左右される生き物。そんな事態を防ぐために、多様化とは一見矛盾した残業規制というテコ入れを政府としてもやっている側面もあるわけですね。
特に、今の日本の医療は医師の善意の上に成り立っている業界。時代の変化とともに、今後も粛々と働き方改革に加え医療制度改革を実行していくしかないと感じています。ただ、逆に善意の上に成り立っているから改革が進みにくいというのも事実。自分を大切にできないと、持続的に他人を大切にすることもできません。
それぞれのレイヤーにおける課題がありますが、例えば勤務医ができることのひとつとして周囲の期待に振り回されずにキッパリ断ったり辞めたりする選択も時には必要なのだと思います。産業医としても、スタッフに続々と辞められて初めて労務環境を本気で考え出した経営者を数多く見てきました。
医師が情報発信をする意義
積極的な情報発信をするようになったのは「NewsPicks」という経済ニュースメディアがきっかけですね。最初は産業医として必要な、会社の仕組みや経済についての知識を深めるため、ニュースを読むだけでした。ある日、長時間労働に関するニュースに対して、多くの人が容認するコメントをしているのを目にし、「産業医としてコメントをすることで、何かが変わるかもしれない。自分が発信する意義がここにはある。」と感じたことをきっかけにコメントするようになりました。
そうしたら思いのほか多くの方に注目していただき、あれよあれよという間にメディア露出の機会が増えてしまいました。しかし、発信自体は目的ではありません。より多くの人により良い人生を。そのための一つの手段として今はとりあえず発信をしているに過ぎないというのが正直なところです。ただ発信すれば良いわけではなく、「何のための発信か」「自分が発信する意義がそこにあるのか」と考えることがより価値のある発信に繋がるのだと思います。
約500人のメンバーと一緒に目指すものとは
病院と違い、産業医や産業保健師などの専門職は会社の中でマイノリティ的な存在です。そのため分からないことや困ったことがあっても頼る相手が少ないし、自分のやり方が果たして適切なのかという不安が絶えず付きまといます。また、多くの産業医や産業保健師を輩出する産業医科大学出身の場合は横の繋がりがありますが、その他の人は気軽にすぐ相談をできる環境が少ないというのももともと課題意識として持っていました。
そんなとき、とあるイベントで知り合った産業医の先生から「同業者の知り合いが少なくて困っています」という相談を受け、「じゃ、自分の知り合いを集めてグループ作ろうか!」というほぼ学生ノリで、産業医と保健師のLINEグループを作ることにしました。
これがほんと良くて、いつでも気軽に相談や情報交換ができるし、みんなレスポンス早いし、しかも自分は既読スルーでもコメントがとても勉強になる。二十人ほどのメンバーから始めましたが、人事職やヘルスケア企業の方など、産業医や保健師以外の方からもグループに入りたいという声が増えたため、参加対象を大幅に拡げて2019年1月にFacebook上でのグループ「産業保健オンラインカフェ」を新たに作りました。
これがまたほんと良くて(笑)、経営者、人事、社労士、弁護士、臨床心理士、精神保健福祉士、産業カウンセラーなど、産業保健に関わるオールスターが集結したことでお互いに新しい視点や知見が得られるコミュニティになっています。職種は違えど、ベースには「働く人々の健康を支えたい」という共通した想いがあるのでしょうね。
おかげさまで、メンバーは6月現在で500人を超えました。ただコミュニティは掛け持ちしながら自分に合うものを取捨選択し続けていくことが最も大事だと思っているので、産業保健オンラインカフェがその他のコミュニティたちを繋げるひとつのきっかけになれば嬉しいですね。